| 著者 | 作品 | 本文で最初にタイトルが出てくる部分 | 位置 |
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| 夏目漱石 | 吾輩は猫である | 吾輩は猫である。名前はまだ無い。 | 0% |
| 柳田国男 | 山の人生 | 山の人生と題する短い研究を、昨年『朝日グラフ』に連載した時には、一番親切だと思った友人の批評が、面白そうだがよく解らぬというのであった。 | 0% |
| 夏目漱石 | 硝子戸の中 | 硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。 | 0% |
| 太宰治 | 津軽 | 津軽の雪 こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪(東奥年鑑より) | 0% |
| 森鴎外 | 高瀬舟 | 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。 | 0% |
| ラヴクラフト | ニャルラトホテプ | ニャルラトホテプ……這い寄る混沌……残ったのはもうわたしだけ……この何もない空を聞き手にして、お話ししようと思います。 | 0% |
| 宮沢賢治 | なめとこ山の熊 | なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。 | 0% |
| 国木田独歩 | 武蔵野 | 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。 | 0% |
| 梶井基次郎 | 桜の樹の下には | 桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 | 0% |
| 新美南吉 | 赤とんぼ | 赤とんぼは、三回ほど空をまわって、いつも休む一本の垣根の竹の上に、チョイととまりました。 | 0% |
| 北大路魯山人 | 納豆の茶漬け | 納豆の茶漬けは意想外に美味いものである。しかも、ほとんど人の知らないところである。食通間といえども、これを知る人は意外に少ない。 | 0% |
| 永井隆 | この子を残して | うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、しばらくしてから、「ああ、……お父さんのにおい……」と言った。この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか! | 0% |
| 森鴎外 | 渋江抽斎 | 三十七年如一瞬。学医伝業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。これは渋江抽斎の述志の詩である。想うに天保十二年の暮に作ったものであろう。弘前の城主津軽順承の定府の医官で、当時近習詰になっていた。 | 0% |
| チャペック | RUR――ロッサム世界ロボット製作所 | 商品名「ロボット」。この商品は、当社が開発した人造人間であり、人間のあらゆる労働を肩代わりしてくれる、万能労働者です。また、一台あたりの値段も大変安くなっておりまして、何かとお困りの人件費の削減にもお役に立つこと間違いありません。RUR、ロッサム世界ロボット製作所の「ロボット」を、ぜひお買い求め下さい。 | 0% |
| 梶井基次郎 | Kの昇天――或はKの溺死 | お手紙によりますと、あなたはK君の溺死について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであります。 | 0% |
| 九鬼周造 | 「いき」の構造 | 「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。 | 0% |
| 中島敦 | 李陵 | 漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜を発して北へ向かった。阿爾泰山脈の東南端が戈壁沙漠に没せんとする辺の磽たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。 | 0% |
| 夏目漱石 | 三四郎 | このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。 | 0% |
| 夏目漱石 | 倫敦塔 | 二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊わすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。 | 0% |
| 太宰治 | チャンス | 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。 | 0% |
| 芥川龍之介 | 鼻 | 禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。 | 0% |
| 太宰治 | 恥 | 菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。 | 0% |
| 宮沢賢治 | ビジテリアン大祭 | 私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。 | 0% |
| 芥川龍之介 | 白 | ある春の午過ぎです。白と云う犬は土を嗅ぎ嗅ぎ、静かな往来を歩いていました。狭い往来の両側にはずっと芽をふいた生垣が続き、そのまた生垣の間にはちらほら桜なども咲いています。白は生垣に沿いながら、ふとある横町へ曲りました。 | 0% |
| スティーブンソン | 宝島 | 大地主のトゥリローニーさんや、医師のリヴジー先生や、その他の方々が、私に、宝島についての顛末を、初めから終りまで、ただまだ掘り出してない宝もあることだから島の方位だけは秘して、すっかり書き留めてくれと言われるので、 | 0% |
| ツルゲーネフ | はつ恋 | 「めいめい、自分の初恋の話をするのですよ。では、まずあなたから、セルゲイ・ニコラーエヴィチ」 | 0% |
| 宮沢賢治 | 猫の事務所 | 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。 | 0% |
| 夏目漱石 | それから | 動悸は相変らず落ち付いて確に打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。 | 0% |
| 江戸川乱歩 | 赤い部屋 | 異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々其為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた。 | 0% |
| 萩原朔太郎 | 詩の原理 | しかも狂犬のように執念深く、自分はこの問題に囓じりついていた。あらゆる瘠我慢の非力をふるって、最後にまで考えぬこうと決心した。そして結局、この書の内容の一部分を、鎌倉の一年間で書き終った。それは『自由詩の原理』と題する部分的の詩論であったが、或る事情から出版が厭やになって、そのまま手許に残しておいた。 | 0% |
| 小酒井不木 | 恋愛曲線 | 君の一代の盛典を祝するために、僕は今、僕の心からなる記念品として、「恋愛曲線」なるものを送ろうとして居る。 | 0% |
| 芥川龍之介 | 羅生門 | ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。 | 0% |
| 三遊亭円朝 | 黄金餅 | ずツと昔時芝の金杉橋の際へ黄金餅と云ふ餅屋が出来まして、一時大層流行たものださうでござります。 | 0% |
| 宍戸儀一 | フランケンシュタイン | してきたことはこれだけなのだな――よし、と、私フランケンシュタインの魂が叫んだ――もっと、もっと多くのことを私はやりあげるぞ。すでに目じるしのついているとおりに歩いていって、新しい道の先駆者となり、未知の力を探究し、創造のもっとも深い秘奥を白日のもとにあばいてやるぞ。 | 0% |
| 魯迅 | 故郷 | わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。 | 0% |
| バルザック | ゴリオ爺さん | そう貴方、この本を真っ白い手に取って、深々とした肱掛椅子に沈みこんで、貴方は言うのです。こいつは面白そうだな、ってね。ゴリオ爺さんの不幸せな秘話を読んだ後、旺盛な食欲で夕食を済ませ、貴方の感覚の鈍さを作家のせいにし、大袈裟な表現に罰金をかけ、詩情を欠くという点で作家を非難する。 | 0% |
| 楠山正雄 | 金太郎 | むかし、金太郎という強い子供がありました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。 | 0% |
| 森鴎外 | 青年 | 雑巾を掴んで突っ立った、ませた、おちゃっぴいな小女の目に映じたのは、色の白い、卵から孵ったばかりの雛のような目をしている青年である。薩摩絣の袷に小倉の袴を穿いて、同じ絣の袷羽織を着ている。被物は柔かい茶褐の帽子で、足には紺足袋に薩摩下駄を引っ掛けている。当前の書生の風俗ではあるが、何から何まで新しい。 | 0% |
| 太宰治 | 十二月八日 | きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。 | 0% |
| 北原白秋 | 思ひ出 | 時は過ぎた。さうして温かい苅麥のほめきに、赤い首の螢に、或は青いとんぼの眼に、黒猫の美くしい毛色に、謂れなき不可思議の愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕はしい「思ひ出」の哀歡となつてゆく。 | 1% |
| 楠山正雄 | 浦島太郎 | むかし、むかし、丹後の国水の江の浦に、浦島太郎というりょうしがありました。 | 1% |
| 小林多喜二 | 蟹工船 | この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキの剥げた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから、錨の鎖を下していた、甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じところを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。 | 1% |
| 北原白秋 | 邪宗門 | 哀れ、我ら近代邪宗門の徒が夢寝にも忘れ難きは青白き月光のもとに欷歔く大理石の嗟嘆也。暗紅にうち濁りたる埃及の濃霧に苦しめるスフィンクスの瞳也。あるはまた落日のなかに笑へるロマンチツシユの音楽と幼児磔殺の前後に起る心状の悲しき叫也。 | 1% |
| 芥川龍之介 | 杜子春 | 若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。 | 1% |
| 中勘助 | 銀の匙 | そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮だの印籠の根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて「これをください」といつた。 | 1% |
| 太宰治 | 思ひ出 | 叔母は、そんなことを言ふものでない、お隱れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへお隱れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざとさう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。 | 1% |
| 夏目漱石 | 文鳥 | 十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。 | 1% |
| 宮沢賢治 | ツェねずみ | ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。 | 1% |
| 邦枝完二 | おせん | 当時、江戸の三人女の随一と名を取った、おせんの肌が見られるなら、蚊に食われようが、虫に刺されようが、少しも厭うことじゃァない、好きな煙草も慎むし、声も滅多に出すまいから、何んでもかんでもこれから直ぐに連れて行け。その換りお礼は二分まではずもうし、羽織もお前に進呈すると、これこの通りお羽織まで下ったんじゃござんせんか。 | 1% |
| 横光利一 | 蠅 | 真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋の蠅だけは、薄暗い厩の隅の蜘蛛の巣にひっかかると、後肢で網を跳ねつつ暫くぶらぶらと揺れていた。と、豆のようにぼたりと落ちた。 | 1% |
| 宮沢賢治 | おきなぐさ | うずのしゅげを知っていますか。うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。 | 1% |
| 芥川龍之介 | 藪の中 | さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか?それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。 | 1% |
| 堀辰雄 | 風立ちぬ | 風立ちぬ、いざ生きめやも。 | 1% |
| 芥川龍之介 | 舞踏会 | 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。明い瓦斯の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬を造つてゐた。 | 1% |
| チェーホフ | 六号室 | 玄関の先はこの別室全体を占めている広い間、これが六号室である。浅黄色のペンキ塗の壁は汚れて、天井は燻っている。冬に暖炉が烟って炭気に罩められたものと見える。窓は内側から見悪く鉄格子を嵌められ、床は白ちゃけて、そそくれ立っている。 | 1% |
| 太宰治 | パンドラの匣 | 君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。 | 1% |
| 芥川龍之介 | トロッコ | 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。 | 2% |
| 岡本かの子 | 鮨 | 古くからある普通の鮨屋だが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよの両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。 | 2% |
| 新美南吉 | 赤い蝋燭 | 山から里の方へ遊びにいった猿が一本の赤い蝋燭を拾いました。赤い蝋燭は沢山あるものではありません。それで猿は赤い蝋燭を花火だと思い込んでしまいました。 | 2% |
| 原民喜 | 夏の花 | 恰度、休電日ではあったが、朝から花をもって街を歩いている男は、私のほかに見あたらなかった。その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。 | 2% |
| 森鴎外 | 雁 | 岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。 | 2% |
| 泉鏡花 | 外科室 | その日午前九時過ぐるころ家を出でて病院に腕車を飛ばしつ。直ちに外科室の方に赴くとき、むこうより戸を排してすらすらと出で来たれる華族の小間使とも見ゆる容目よき婦人二、三人と、廊下の半ばに行き違えり。 | 2% |
| 石川啄木 | 一握の砂 | 一握の砂を示しし人を忘れず | 2% |
| 正岡子規 | 墨汁一滴 | かくては生けるかひもなし。はた如何にして病の牀のつれづれを慰めてんや。思ひくし居るほどにふと考へ得たるところありて終に墨汁一滴といふものを書かましと思ひたちぬ。こは長きも二十行を限とし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし。 | 2% |
| 新美南吉 | ごん狐 | その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。 | 2% |
| 内村鑑三 | 後世への最大遺物 | 実に世はさまざまであります。そして私は幸いにして今日まで生存らえて、この書に書いてあることに多く違わずして私の生涯を送ってきたことを神に感謝します。この小著そのものが私の「後世への最大遺物」の一つとなったことを感謝します。「天地無始終、人生有生死」であります。しかし生死ある人生に無死の生命を得るの途が供えてあります。天地は失せても失せざるものがあります。 | 2% |
| 夢野久作 | 懐中時計 | 懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。 | 3% |
| 夢野久作 | 死後の恋 | お笑いになると困りますが、私はこう見えても生え抜きのモスコー育ちで、旧露西亜の貴族の血を享けている人間なのです。そうして現在では、ロマノフ王家の末路に関する「死後の恋」という極めて不可思議な神秘作用に自分の運命を押えつけられて、夜もオチオチ眠られぬくらい悩まされ続けておりますので…… | 3% |
| ゲーテ | ファウスト | ふん。お前ファウストを知っているか。 | 3% |
| 江戸川乱歩 | 少年探偵団 | この悪魔を向こうにまわしてたたかうものは、小林少年を団長とする少年探偵団です。十人の勇敢な小学生によって組織せられた少年探偵団、団長は明智探偵の名助手として知られた小林芳雄少年、その小林少年の先生は、いうまでもなく大探偵明智小五郎です。 | 3% |
| 江戸川乱歩 | 日記帳 | 私は長い間忘れていた、幼い、しみじみした気持になって、ふと、そこにあった弟の日記帳を繰ひろげて見ました。 | 3% |
| アンデルセン | 人魚の姫 | おかあさまは、かしこい方でしたが、身分のよいことを、たいへんじまんにしていました。ですから、自分のしっぽには、十二もカキをつけているのに、ほかの人たちには、どんなに身分が高くても、六つしかつけることをゆるさなかったのです。でも、このことだけを別にすれば、どんなにほめてあげてもよい方でした。わけても孫むすめの、小さな人魚のお姫さまたちを、それはそれはかわいがっていました。 | 3% |
| 芥川龍之介 | 悪魔 | 伴天連うるがんの眼には、外の人の見えないものまでも見えたさうである。殊に、人間を誘惑に来る地獄の悪魔の姿などは、ありありと形が見えたと云ふ、――うるがんの青い瞳を見たものは、誰でもさう云ふ事を信じてゐたらしい。 | 3% |
| 芥川龍之介 | 地獄変 | が、その数多い御逸事の中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかりは、流石に御驚きになつたやうでございました。 | 4% |
| 泉鏡花 | 夜叉ヶ池 | その竜が棲む、夜叉ヶ池からお池の水が続くと申します。ここの清水も気のせいやら、流が沢山痩せました。このごろは村方で大騒ぎをしています。 | 4% |
| 芥川龍之介 | 河童 | 時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童というものを見たのは実にこの時がはじめてだったのです。僕の後ろにある岩の上には画にあるとおりの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。 | 4% |
| 芥川龍之介 | 魔術 | ミスラ君は永年印度の独立を計っているカルカッタ生れの愛国者で、同時にまたハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。 | 4% |
| グリム | 白雪姫 | それから、すこしたちまして、女王さまは、ひとりのお姫さまをおうみになりましたが、そのお姫さまは色が雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛はこくたんのように黒くつやがありました。それで、名も白雪姫とおつけになりました。 | 4% |
| 江戸川乱歩 | 黒手組 | 当時都には「黒手組」と自称する賊徒の一団が人もなげに跳梁していまして、警察のあらゆる努力もその甲斐なく、昨日は某の富豪がやられた。 | 4% |
| アンデルセン | 赤いくつ | カレンは、おっかさんのお葬式の日に、そのくつをもらって、はじめてそれをはいてみました。赤いくつは、たしかにおとむらいにはふさわしくないものでしたが、ほかに、くつといってなかったので、素足の上にそれをはいて、粗末な棺おけのうしろからついていきました。 | 4% |
| 芥川龍之介 | 仙人 | 「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」 | 5% |
| 谷崎潤一郎 | 刺青 | 馬道を通うお客は、見事な刺青のある駕籠舁を選んで乗った。吉原、辰巳の女も美しい刺青の男に惚れた。博徒、鳶の者はもとより、町人から稀には侍なども入墨をした。 | 5% |
| 萩原朔太郎 | 青猫 | 詩を作ること久しくして、益益詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない。 | 5% |
| 柳田国男 | 海上の道 | 国の大昔の歴史と関係する古い幾つかの宮社が、いずれも海の滸ほとりに近く立っているということを、ややおろそかに考える風が久しく続いたが、日本が島国であり、海を渡ってきた民族である限り、是はいつかは補強せらるべき弱点であって、それにはまず隠れたる海上の道というものの、次々と発見せられる日を期待しなければならない。 | 5% |
| ラメー | フランダースの犬 | フランダースの犬は、茶色い色をし、頭と手足は大きく、まっすぐに立ったおおかみのような耳をして、足は曲がり、何世代にもわたる厳しい労働によって発達した筋肉を持っていました。 | 5% |
| 宮沢賢治 | 風の又三郎 | 「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」 | 6% |
| 夏目漱石 | 現代日本の開化 | その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。 | 6% |
| サン=テグジュペリ | あのときの王子くん | ぼくがあのときの王子くんとであったのは、こういうわけなんだ。 | 6% |
| 福沢諭吉 | 学問のすすめ | この書の表題は『学問のすすめ』と名づけたれども、けっして字を読むことのみを勧むるにあらず。書中に記すところは、西洋の諸書よりあるいはその文を直ちに訳し、あるいはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるものなり。 | 6% |
| 宮沢賢治 | ポラーノの広場 | 「何を探すっていうの。」子どもはしばらくちゅうちょしていましたが、とうとう思い切ったらしく云いました。「ポラーノの広場。」 | 7% |
| 萩原朔太郎 | 月に吠える | 月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。 | 7% |
| 楠山正雄 | 一寸法師 | ところがこの子は、いつまでたってもやはり指だけより大きくはなりませんでした。夫婦もあきらめて、その子に一寸法師と名前をつけました。一寸法師は五つになっても、やはり背がのびません。七つになっても、同じことでした。十を越しても、やはり一寸法師でした。 | 7% |
| グリム | 赤ずきん | すると、それがまたこの子にとってもよくにあいましたので、それからは、もうほかのものはちっともかぶらなくなってしまいました。それで、この子は、みんなに「赤ずきんちゃん」「赤ずきんちゃん」とよばれるようになりました。 | 8% |
| グリム | ラプンツェル | ある日のこと、おかみさんがこの窓ぎわに立って、庭を見おろしていますと、それはそれはきれいなラプンツェル(チシャ)のうえてある野菜畑が目につきました。みるからに、みずみずしく、青あおとしたラプンツェルです。おかみさんはそれがほしくてたまらなくなって、なんとかして食べたいものだと思いました。 | 8% |
| 芥川龍之介 | おぎん | やはり浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいた。おぎんの父母は大阪から、はるばる長崎へ流浪して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。 | 8% |
| 宮沢賢治 | いちょうの実 | いちょうの実はみんないちどに目をさましました。そしてドキッとしたのです。きょうこそはたしかに旅だちの日でした。みんなも前からそう思っていましたし、きのうの夕方やってきた二わのカラスもそういいました。 | 8% |
| 島崎藤村 | 夜明け前 | 新宅の旅籠屋もできあがるころは、普請のおりに出た木の片を燈して、それを油火に替え、夜番の行燈を軒先へかかげるにも毎朝夜明け前に下掃除を済まし、同じ布で戸障子の敷居などを拭いたのも、そのかみさんだ。 | 8% |
| 夏目漱石 | 坊っちゃん | いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。 | 8% |
| 芥川龍之介 | アグニの神 | 「私の占ひは五十年来、一度も外れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね。」 | 8% |
| アンデルセン | 雪の女王 | 「雪の女王さまは、うちのなかへもはいってこられるかしら。」と、女の子がたずねました。 | 8% |
| 夏目漱石 | 坑夫 | 「実はこう云う口なんだがね。銅山へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」 | 8% |
| 魯迅 | 阿Q正伝 | しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。 | 8% |
| 太宰治 | 朝 | けれども、それではいつまでも何も仕事が出来ないので、某所に秘密の仕事部屋を設ける事にしたのである。それはどこにあるのか、家の者にも知らせていない。毎朝、九時頃、私は家の者に弁当を作らせ、それを持ってその仕事部屋に出勤する。さすがにその秘密の仕事部屋には訪れて来るひとも無いので、私の仕事もたいてい予定どおりに進行する。 | 8% |
| 中島敦 | 弟子 | 後年の孔子の長い放浪の艱苦を通じて、子路ほど欣然として従った者は無い。それは、孔子の弟子たることによって仕官の途を求めようとするのでもなく、また、滑稽なことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。 | 8% |
| アンデルセン | おやゆび姫 | 女の人はチューリップを見て首をかしげていると、花の真ん中に人がいることに気がつきました。つやつやした緑色のおしべにかこまれて、とても小さな女の子がかわいらしく座っていたのです。女の子はおやゆび半分の大きさしかありませんでした。あまりにも小さいので、女の子は『おやゆび姫』と呼ばれることになりました。 | 8% |
| 夏目漱石 | 思い出す事など | 正確を旨とする几帳面な学者の記憶でも、記憶はこれほどに不慥なものである。「思い出す事など」の中に思い出す事が、日を経れば経るに従って色彩を失うのはもちろんである。 | 9% |
| 新美南吉 | 牛をつないだ椿の木 | 二人が、牛をつないだ椿の木を見ると、それは自転車をもった地主がいったとおりでありました。若い椿の、柔らかい葉はすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖のようなものが立っていただけでした。 | 10% |
| 芥川龍之介 | ピアノ | この辺の荒廃は震災当時と殆ど変つてゐなかつた。若し少しでも変つてゐるとすれば、それは一面にスレヱトの屋根や煉瓦の壁の落ち重なつた中に藜の伸びてゐるだけだつた。現に或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさへ、半ば壁にひしがれたまゝ、つややかに鍵盤を濡らしてゐた。のみならず大小さまざまの譜本もかすかに色づいた藜の中に桃色、水色、薄黄色などの横文字の表紙を濡らしてゐた。 | 10% |
| 芥川竜之介 | 歯車 | 両側に立っているのは大抵大きいビルディングだった。僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合せていた。 | 10% |
| ラング | シンデレラ | 少女はしごとがおわると、いつもかまどのあるこべやへ行きました。そこはもえがらと灰でいっぱいで、いつもその中ですわっていました。そのためみんな少女を『灰むすめ』とよびましたが、ちょっとべんきょうのできる下の方の姉が、もうすこしきれいな名まえでよぼうと、『灰かぶりひめ』といういみの、『シンデレラ』という名まえをつけました。 | 11% |
| メアリー・シェリー | フランケンシュタイン | 私フランケンシュタインの魂が叫んだ――もっと、もっと多くのことを私はやりあげるぞ。すでに目じるしのついているとおりに歩いていって、新しい道の先駆者となり、未知の力を探究し、創造のもっとも深い秘奥を白日のもとにあばいてやるぞ。 | 11% |
| ポー | 黒猫 | この最後のものは非常に大きな美しい動物で、体じゅう黒く、驚くほどに利口だった。この猫の知恵のあることを話すときには、心ではかなり迷信にかぶれていた妻は、黒猫というものがみんな魔女が姿を変えたものだという、あの昔からの世間の言いつたえを、よく口にしたものだった。 | 11% |
| 坂口安吾 | 白痴 | 母親だけは正気の人間の部類に属している筈だという話であったが、強度のヒステリイで、配給に不服があると跣足で町会へ乗込んでくる町内唯一の女傑であり、気違いの女房は白痴であった。ある幸多き年のこと、気違いが発心して白装束に身をかため四国遍路に旅立ったが、そのとき四国のどこかしらで白痴の女と意気投合し、遍路みやげに女房をつれて戻ってきた。 | 11% |
| チェーホフ | かもめ | 父も継母も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。 | 11% |
| 夢野久作 | ドグラ・マグラ | その次のページに黒インキのゴジック体で『ドグラ・マグラ』と標題が書いてあるが、作者の名前は無い。 | 12% |
| ドイル | 赤毛連盟 | 赤毛連盟に告ぐ――米国ペンシルヴァニア州レバノンの故イズィーキア・ホプキンズ氏の遺志に基づき、今、ただ名目上の尽力をするだけで週四ポンド支給される権利を持つ連盟員に、欠員が生じたことを通知する。 | 13% |
| 与謝野晶子 | みだれ髪 | みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす | 14% |
| チェーホフ | ワーニャ伯父さん | ワーニャ伯父さん、面白くないわ、そんなお話! | 14% |
| 樋口一葉 | 十三夜 | 今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止なされと言ふし、 | 14% |
| 新美南吉 | 二ひきの蛙 | こんなふうに話しあっていると、よいことは起こりません。二ひきの蛙はとうとうけんかをはじめました。 | 14% |
| 芥川龍之介 | 桃太郎 | 桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。 | 14% |
| 山村暮鳥 | 雲 | ゆつたりと雲のやうに | 15% |
| 宮沢賢治 | 貝の火 | 「これは貝の火という宝珠でございます。王さまのお言伝ではあなた様のお手入れしだいで、この珠はどんなにでも立派になると申します。どうかお納をねがいます」 | 16% |
| 新美南吉 | 狐 | 「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに」 | 16% |
| 宮沢賢治 | 貝の火 | 「これは貝の火という宝珠でございます。王さまのお言伝ではあなた様のお手入れしだいで、この珠はどんなにでも立派になると申します。どうかお納めをねがいます」 | 16% |
| 谷崎潤一郎 | 秘密 | 賑かな世間から不意に韜晦して、行動を唯徒らに秘密にして見るだけでも、すでに一種のミステリアスな、ロマンチックな色彩を自分の生活に賦与することが出来ると思った。私は秘密と云う物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わって居た。 | 16% |
| 太宰治 | トカトントン | ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。 | 17% |
| 新美南吉 | 明日 | 明日がみんなをまつてゐる。 | 17% |
| サキ | 第三者 | 密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。 | 17% |
| 小泉八雲 | 貉 | これは皆、その辺をよく歩いた貉のためである。 | 17% |
| 宮沢賢治 | 双子の星 | 大烏はもう怒ってぶるぶる顫えて今にも飛びかかりそうです。双子の星は一生けん命手まねでそれを押えました。 | 17% |
| 小川未明 | 野ばら | ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。 | 18% |
| ゴーゴリ | 外套 | そうとう高い地位たる連中ですら、この寒気のためには額がうずき、両の眼に涙がにじみ出してくる。その時刻には、哀れな九等官などは、まったく手も足も出ないありさまである。唯一の救いは、薄っぺらな外套に身をくるみ、できるだけ早く五つ六つの通りを駆けぬけて、それから守衛室でしこたま足踏みをしながら、途中で凍りついてしまった執務に要するあらゆる技倆や才能が融けだすのを待つことであった。 | 18% |
| 山川方夫 | 予感 | 彼は、自分に一種の予感の能力があるのを信じていた。当面の問題の吉凶が予知できるのである。それは、ふいに背すじにはしり下りる、しびれるような短い戦慄で彼に報じられる。 | 19% |
| 楠山正雄 | 舌切りすずめ | 「舌切りすずめ、お宿はどこだ、チュウ、チュウ、チュウ。」 | 20% |
| 坂口安吾 | 日本文化私観 | 僕は先刻白状に及んだ通り、桂離宮も見たことがなく、雪舟も雪村も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎も知らず、狩野派も運慶も知らない。けれども、僕自身の「日本文化私観」を語ってみようと思うのだ。 | 21% |
| グリム | ヘンゼルとグレーテル | そこで、ヘンゼルとグレーテルは、小枝を山ほどもたくさんあつめてきました。小枝の山に火がついて、ぱあっともえあがると、おかみさんがいいました。 | 21% |
| 江戸川乱歩 | かいじん二十めんそう | おうごんかめんこそ、人々からこわがられていたかいじん二十めんそうなのです。 | 22% |
| 江戸川乱歩 | 指 | 「あ、君が世話をしてくれたのか。ありがとう……酔っぱらってね、暗い通りで、誰かわからないやつにやられた……右手だね。指は大丈夫だろうか」 | 23% |
| 田山花袋 | 蒲団 | 歌を半ばにして、細君の被けた蒲団を着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。 | 23% |
| 楠山正雄 | 桃太郎 | そして桃の中から生まれた子だというので、この子に桃太郎という名をつけました。 | 24% |
| 芥川龍之介 | 芋粥 | では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。 | 24% |
| 江戸川乱歩 | かいじん二十めんそう | 「それじゃ、おじさんは、かいじん二十めんそうだな」 | 24% |
| 夏目漱石 | 門 | 彼はその日役所の帰りがけに駿河台下まで来て、電車を下りて、酸いものを頬張ったような口を穿めて一二町歩いた後、ある歯医者の門を潜ったのである。 | 24% |
| 海野十三 | 千年後の世界 | 誰も扉をひらきに来ないと、せっかく覚醒した彼フルハタも、あと三十日ぐらい生存できるが、その後は絶対に生きつづける見込みがつかない。彼は、自分の生命が惜しいということよりも、こうして一千年後の世界に再生しながら、その世界を見ないで死ぬことが、たいへん残念だった。 | 25% |
| 坂口安吾 | 桜の森の満開の下 | 桜の森の満開の下です。あの下を通る時に似ていました。どこが、何が、どんな風に似ているのだか分りません。けれども、何か、似ていることは、たしかでした。彼にはいつもそれぐらいのことしか分らず、それから先は | 25% |
| 江戸川乱歩 | 赤いカブトムシ | このまえは『おうごんのとら』だったが、こんどは、この赤いカブトムシだ。これはルビーでできている。二つの目は、ダイヤモンドだ。わしのだいじなたからものだよ。これをきみたちにわたすから、このまえのようにちえをしぼって、うまくかくしてごらん。 | 25% |
| 芥川龍之介 | 蜘蛛の糸 | 幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。 | 26% |
| ドイル | 緋のエチュード | やつはいずれ、僕の手に落ちるよ、博士――二対一で賭けてもいい、落ちる。今回は君に感謝せねば。君なしでは出向かなかった。そして、生涯最高の題材に出会い損なっていただろう――緋のエチュード。ふふ、ちょっとした絵画の名付け方を借りてもいいではないか。殺人という緋色の糸が、現世という無色の綛糸に混紡されている。 | 29% |
| 宮沢賢治 | 注文の多い料理店 | 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」 | 29% |
| トルストイ | イワンの馬鹿 | タラスの係の小悪魔も、その晩手が空いたので、約束どおりイワンの馬鹿を取っちめるために、仲間へ手をかすつもりでやって来ました。彼は畑へ行ってさんざん仲間をさがしましたが、一人もいませんでした。ただ一つの穴を見つけただけでした。 | 29% |
| 江戸川乱歩 | 二銭銅貨 | 「君、この、僕の机の上に二銭銅貨をのせて置いたのは君だろう。あれは、どこから持って来たのだ」 | 30% |
| 江戸川乱歩 | 陰獣 | 上からは何の返事もないのだ。彼女は一時の興奮からさめて、気抜けのした様に、長い間そこに立ちつくしていた。併し、天井裏にはやっぱり幽かに時計の音がしているばかりで、外には少しの物音も聞えては来ないのだ。陰獣は闇の中で、息を殺して、唖の様に黙り返っているのだ。その異様な静けさに、彼女は突然非常な恐怖を覚えた。 | 30% |
| ドイル | まだらのひも | はじめ、姉はわたくしが分からないのかと思っていましたが、わたくしが中腰になると、突然恐ろしい声を絞り出して。忘れません、『お願い、助けて!ヘレン、ひもが、まだらのひもが!』と。それから姉は、もっと何か言いたそうにして、指を高く上げて父の部屋の方を突き刺すように指しましたが、またもや全身にひきつけが起こって、物が言えませんでした。 | 32% |
| 新美南吉 | 飴だま | 「かあちゃん、飴だまちょうだい。」 | 32% |
| 芥川龍之介 | 秋 | 所が残暑が初秋へ振り変らうとする時分、夫は或日会社の出がけに、汗じみた襟を取変へようとした。が、生憎襟は一本残らず洗濯屋の手に渡つてゐた。夫は日頃身綺麗なだけに、不快らしく顔を曇らせた。 | 33% |
| 江戸川乱歩 | 屋根裏の散歩者 | 「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺に隠れ蓑というものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。 | 33% |
| 森鴎外 | 山椒大夫 | 良の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒大夫という分限者がいて、人なら幾らでも買う。宮崎はこれまでも、よそに買い手のない貨があると、山椒大夫がところへ持って来ることになっていた。 | 34% |
| ポー | 盗まれた手紙 | 「ところで、G――さん、例の盗まれた手紙はどうなりました?あの大臣を出し抜くなんてことはとてもできないと、とうとう諦めたようですな?」 | 35% |
| 森鴎外 | 舞姫 | このときを始めとして、余と少女との交わりようやくしげくなりもて行きて、同郷人にさえ知られぬれば、彼らは速了にも、余をもて色を舞姫の群れに漁するものとしたり。われら二人の間にはまだ痴なる歓楽のみ存じたりしを。 | 37% |
| 江戸川乱歩 | 怪人二十面相 | ああ、名探偵明智小五郎と怪人二十面相の対立、知恵と知恵との一騎うち、その日が待ちどおしいではありませんか。 | 43% |
| 太宰治 | 葉 | こんな樹の名を知っている?その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけがじりじり枯れて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散るまで青いふりをする。 | 43% |
| 江戸川乱歩 | 心理試験 | ただ、分っているのは、この一ヶ月半のあらゆる捜索の結果、彼等二人を除いては、一人の嫌疑者も存在しないということだった。万策尽きた笠森判事は愈々奥の手を出す時だと思った。彼は二人の嫌疑者に対して、彼の従来屡々成功した心理試験を施そうと決心した。 | 45% |
| 宮沢賢治 | 水仙月の四日 | 「ひゆう、ひゆう、さあしつかりやるんだよ。なまけちやいけないよ。ひゆう、ひゆう。さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。さあしつかりさ。ひゆう。」 | 46% |
| 太宰治 | グッド・バイ | セットの終ったころ、田島は、そっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持で、「グッド・バイ。」とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような、あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。 | 47% |
| 芥川龍之介 | 手巾 | 婦人は、一応、突然の訪問を謝してから、又、叮嚀に礼をして、示された椅子に腰をかけた。その拍子に、袂から白いものを出したのは手巾であらう。先生は、それを見ると、早速テエブルの上の朝鮮団扇をすすめながら、その向う側の椅子に、座をしめた。 | 47% |
| カフカ | 変身 | あるとき、グレゴールの変身が起ってから早くも一月がたっていたし、妹ももうグレゴールの姿を見てびっくりしてしまうかくべつの理由などはなくなっていたのだが、妹はいつもよりも少し早くやってきて、グレゴールが身動きもしないで、ほんとうにおどかすような恰好で身体を立てたまま、窓から外をながめている場面にぶつかった。 | 49% |
| 夏目漱石 | 野分 | いたずらに、吹くは野分の、いたずらに、住むか浮世に、白き蝶も、黒き髪も、みだるるよ、みだるるよ。 | 49% |
| 菊池寛 | 形 | 「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。 | 50% |
| 江戸川乱歩 | 黒蜥蜴 | 右の条件が正確に履行された上は、その夜のうちにお嬢さんをお宅まで送り届けます。右貴意を得ます。御返事には及びません。明日所定の時間、所定の場所へ御いでなき限りは、この商談不成立と認め、ただちに予定の行動に移ります。以上 黒蜥蜴 岩瀬庄兵衛様 | 53% |
| 梶井基次郎 | 檸檬 | その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。 | 53% |
| 太宰治 | 織田君の死 | 世のおとなたちは、織田君の死に就いて、自重が足りなかったとか何とか、したり顔の批判を与えるかも知れないが、そんな恥知らずの事はもう言うな! | 56% |
| 森鴎外 | 阿部一族 | 上では弥一右衛門の遺骸を霊屋のかたわらに葬ることを許したのであるから、跡目相続の上にも強いて境界を立てずにおいて、殉死者一同と同じ扱いをしてよかったのである。そうしたなら阿部一族は面目を施して、こぞって忠勤を励んだのであろう。しかるに上で一段下がった扱いをしたので、家中のものの阿部家侮蔑の念が公に認められた形になった。 | 57% |
| 小栗虫太郎 | 黒死館殺人事件 | 法水の驚嘆すべき解析によって、黒死館殺人事件は、ついに絶望視されていた終幕に入ったのではあるまいか。何故なら、その解答が Behind stairs すなわち大階段の裏だったからだ。 | 57% |
| 太宰治 | 道化の華 | ざまを見ろと。しかし、それは酷である。なんの、のんきなことがあるものか。つねに絶望のとなりにゐて、傷つき易い道化の華を風にもあてずつくつてゐるこのもの悲しさを君が判つて呉れたならば! | 57% |
| 芥川龍之介 | 偸盗 | これから半刻ばかり以前の事である。藤判官の屋敷を、表から襲った偸盗の一群は、中門の右左、車宿りの内外から、思いもかけず射出した矢に、まず肝を破られた。まっさきに進んだ真木島の十郎が、太腿を箆深く射られて、すべるようにどうと倒れる。 | 58% |
| 楠山正雄 | かちかち山 | 「うさぎさん、うさぎさん、かちかちいうのは何なんだろう。」「この山はかちかち山だからさ。」「ああ、そうか。」 | 59% |
| 太宰治 | 如是我聞 | 若いものの言い分も聞いてくれ!そうして、考えてくれ!私が、こんな如是我聞などという拙文をしたためるのは、気が狂っているからでもなく、思いあがっているからでもなく、人におだてられたからでもなく、況んや人気とりなどではないのである。本気なのである。 | 59% |
| 宮沢賢治 | シグナルとシグナレス | 電信柱の怒りようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上せてしまい唇をきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下にいる軽便鉄道の電信柱に、シグナルとシグナレスの対話がいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。 | 60% |
| 芥川龍之介 | 遺書 | 追記。この遺書は僕の死と共に文子より三氏に示すべし。尚又右の条件の実行せられたる後は火中することを忘るべからず。 | 62% |
| 太宰治 | I can speak | ――ば、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知ってるかい?知らねえだろう。おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。 | 62% |
| 谷崎潤一郎 | 少年 | きゃしゃな腕の青白い肌が、頑丈な鉄のような指先にむずと掴まれて、二人の少年の血色の快い対照は、私の心を誘うようにするので、 | 70% |
| 楠山正雄 | 花咲かじじい | 「花咲かじじい、花咲かじじい、日本一の花咲かじじい、枯れ木に花を咲かせましょう」 | 72% |
| 永井荷風 | 濹東綺譚 | 濹東綺譚はここに筆を擱くべきであろう。 | 73% |
| アンデルセン | みにくいアヒルの子 | それを見ているうちに、みにくいアヒルの子は、なんともいえない、ふしぎな気持になりました。 | 74% |
| 太宰治 | 走れメロス | 私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。 | 76% |
| 芥川龍之介 | 南京の基督 | 南京の基督はかう云つたと思ふと、徐に紫檀の椅子を離れて、呆気にとられた金花の頬へ、後から優しい接吻を与へた。 | 76% |
| 森鴎外 | かのように | 「コム・シィさ。かのようにとでも云ったら好いのだろう。妙な所を押さえて、考を押し広めて行ったものだが、不思議に僕の立場そのままを説明してくれるようで、愉快でたまらないから、とうとうゆうべは三時まで読んでいた。」 | 77% |
| 太宰治 | お伽草紙 | 私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の国難打開のために敢闘してゐる人々の寸暇に於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ常に微熱を発してゐる不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤したり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しづつ書きすすめて来たのである。 | 77% |
| 夏目漱石 | 変な音 | ○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半(よなか)に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。 | 78% |
| 芥川龍之介 | 文芸的な、余りに文芸的な | 追記。僕はこの文章を書き終つた後、堀木克三氏の啓発を受け、宇野浩二氏の批評の名に「文芸的な、余りに文芸的な」を使つてゐることを知つた。僕は故意に宇野氏の真似をしたのでもなければ、なほ更プロレタリア文芸に対する共同戦線などにするつもりではない。 | 78% |
| 夏目漱石 | 二百十日 | 「ことによると二百十日かも知れないね」 | 82% |
| ポー | モルグ街の殺人事件 | 「なるほど」と友は答えた。「それはいかにもたいそう結構です。こうっと!――なにをいただこうかな?おお!そうだ。お礼はこういうことにしてもらおう。あのモルグ街の殺人事件について、君の知っているだけのことを、一つ残らずみんな話してくれたまえ」 | 83% |
| 宮沢賢治 | やまなし | 『そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいい匂いだな』 | 84% |
| 芥川龍之介 | 蜜柑 | するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。 | 85% |
| 森鴎外 | 文づかひ | 「はや去年のむかしとなりぬ。ゆくりなく君を文づかひにして、ゐや申すたつきを得ざりければ、わが身の事いかにおもひとり玉ひけむ。されど我を煩悩の闇路よりすくひいで玉ひし君、心の中には片時も忘れ侍らず。」 | 85% |
| ラヴクラフト | ダゴン | 太平洋上で大地が隆起したことについて、救助してくれた人たちは何も知らなかった。それに、彼らが信じられないだろうことについて、あれこれ言っても意味がない。一度、著名な民俗学者を探し出し、魚神ダゴンに関する古代フェリシテ人の伝説について、相手に笑われるような風変わりな質問をしたことがある。しかしすぐ、彼が絶望的なまでに常識的であるのが分かり、質問をやめた。 | 86% |
| 江戸川乱歩 | 人でなしの恋 | 人でなしの恋、この世の外の恋でございます。 | 87% |
| 森鴎外 | 寒山拾得 | 心のうちでは、そんなことをしている寒山、拾得が文殊、普賢なら、虎に騎った豊干はなんだろうなどと、田舎者が芝居を見て、どの役がどの俳優かと思い惑うときのような気分になっているのである。 | 87% |
| 島崎藤村 | 破戒 | 破戒――何といふ悲しい、壮しい思想だらう。斯う思ひ乍ら、丑松は蓮華寺の山門を出た。とある町の角のところまで歩いて行くと、向ふの方から巡査に引かれて来る四五人の男に出逢つた。 | 88% |
| 宮沢賢治 | 黄いろのトマト | ガラスのお家が月のあかりで大へんなつかしく光っていた。ペムペルは一寸立ちどまってそれを見たけれども、又走ってもうまっ黒に見えているトマトの木から、あの黄いろの実のなるトマトの木から、黄いろのトマトの実を四つとった。それからまるで風のよう、あらしのように汗と動悸で燃えながら、さっきの草場にとって返した。 | 88% |
| 渡辺温 | ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった | 『ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。』と、私は嘘を吐くのであった。 | 88% |
| 高村光太郎 | 道程 | 人類の道程は遠い | 89% |
| 小泉八雲 | 雪女 | ……実際わしが見たのは夢であったかそれとも雪女であったか、分らないでいる | 90% |
| 国木田独歩 | 忘れえぬ人々 | うれしそうな、浮き浮きした、おもしろそうな、忙しそうな顔つきをしている巷の人々の心の底の糸が自然の調べをかなでているように思われた、「忘れえぬ人々」の一人はすなわちこの琵琶僧である。 | 90% |
| 泉鏡花 | 三尺角 | 與吉は、一人谷のドン底に居るやうで、心細くなつたから、見透かす如く日の光を仰いだ。薄い光線が屋根板の合目から洩れて、幽かに樟に映つたが、巨大なるこの材木は唯單に三尺角のみのものではなかつた。 | 92% |
| 宮沢賢治 | 虔十公園林 | この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力の作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。 | 92% |
| 芥川龍之介 | 或阿呆の一生 | 彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剥製の白鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立つてゐたものの、黄ばんだ羽根さへ虫に食はれてゐた。彼は彼の一生を思ひ、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。 | 93% |
| 芥川龍之介 | あばばばば | 「あばばばばばば、ばあ!」女は店の前を歩き歩き、面白さうに赤子をあやしてゐる。 | 93% |
| 森鴎外 | 最後の一句 | 心の中には、哀れな孝行娘の影も残らず、人に教唆せられた、おろかな子供の影も残らず、ただ氷のように冷ややかに、刃のように鋭い、いちの最後のことばの最後の一句が反響しているのである。 | 93% |
| 坂口安吾 | 文学のふるさと | 私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。 | 95% |
| 吉川英治 | 宮本武蔵 | 「――宮本武蔵か、よい名だ、祝ってやろう。これ、酒をもて」 | 95% |
| 太宰治 | 水仙 | 水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。 | 95% |
| 太宰治 | 人間失格 | 人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。 | 95% |
| 太宰治 | 桜桃 | 桜桃が出た。私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。 | 96% |
| 萩原朔太郎 | 猫町 | だがしかし、今もなお私の記憶に残っているものは、あの不可思議な人外の町。窓にも、軒にも、往来にも、猫の姿がありありと映像していた、あの奇怪な猫町の光景である。私の生きた知覚は、既に十数年を経た今日でさえも、なおその恐ろしい印象を再現して、まざまざとすぐ眼の前に、はっきり見ることができるのである。 | 97% |
| 太宰治 | 惜別 | 立つ四五日前に、先生は僕をご自分のお宅に呼んで、そうして僕に先生のお写真を一枚下さった。その写真の裏には『惜別』と二字書かれてあった。そして僕の写真も呉れるようにと希望された。だが僕はその時あいにく写真を撮っていなかった。 | 97% |
| 芥川龍之介 | 奉教人の死 | 以上採録したる「奉教人の死」は、該「れげんだ・おうれあ」下巻第二章に依るものにして、恐らくは当時長崎の一西教寺院に起りし、事実の忠実なる記録ならんか。 | 98% |
| 夏目漱石 | 虞美人草 | 吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。 | 98% |
| 芥川龍之介 | 戯作三昧 | まして毀誉に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまった。あるのは、ただ不可思議な悦びである。あるいは恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に、輝いているではないか。 | 98% |
| 太宰治 | きりぎりす | 電気を消して、ひとりで仰向に寝ていると、背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。 | 99% |
| 宮沢賢治 | よだかの星 | そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。 | 99% |
| 泉鏡花 | 高野聖 | 高野聖はこのことについて、あえて別に註して教を与えはしなかったが、翌朝袂を分って、雪中山越にかかるのを、名残惜しく見送ると、ちらちらと雪の降るなかを次第に高く坂道を上る聖の姿、あたかも雲に駕して行くように見えたのである。 | 100% |
| 森鴎外 | そめちがへ | 雨の日を二度の迎に唯だ往き返り那加屋好の濡浴衣慥か模様は染違。 | 100% |